「天保の盛山」と言われたのが院内銀山です。慶長元年・1956年(あるいは11年か)に銀が発見され、昭和29年まで採掘が行われました。江戸時代には最大、上納銀は263貫となるなど、日本最大の銀山でした。明治以降、ドイツ人技師の指導で、機械化し、年間生産量は27.5tにもなりました。しかし、資源量が激減、閉山となりました。最盛期の人口は3万人で、江戸時代には城下町の秋田市を上回る都市でした。この坑口は全国でただひとつ、天皇が坑道まで入ったので、御幸坑と呼ばれています。