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2012年3月23日 (金)

ジョニーは戦場に行った

 先日、DVDで「ジョニーは戦場に行った」を借りて見ました。この作品、実は見たくて、見たくてしかたない作品でしたが、どこでもレンタルしていませんでした。ひょんなことから、ツタヤの宅配レンタルにあることがわかって、取り寄せて見たのです。見たいと思い始めて30年以上、やっと会えました。

 この作品、ご存知のように、ドルトン・トランボが1971年に監督した反戦映画です。戦場で、腕、脚、顔、声の全てを失った青年の物語です。現在の部分はモノクロで、回想シーンはカラーで、現在と過去、現実と妄想が交錯しながら、物語は進みます。医療スタッフは、大脳も損傷を受けているから意識はないと決め付け、ただただ実験材料のように彼を扱います。しかし、そこには耐え難い苦しみの中に生きて、その苦痛すら訴えられない主人公がいて、・・・彼は、頭を動かすモールス信号で外界とコミュニケーションをとる術を思いつきます。人間の世界?に復帰できたかと思った瞬間・・・・というようなストーリーで、物語としても大変優れた反戦映画の名作です。

 この映画は赤狩りでハリウッドを終われたドルトン・トランボの代表作でもあっことが、私の関心を引き付けてやまなかったもうひとつの理由です。

 トランボは、文字通りハリウッド随一の脚本家として名声をほしいままにしていました。そこに吹き荒れたのが、東西冷戦をきっかけとしたマッカーシーズム・赤狩りです。この赤狩りでチャップリンもアメリカに住めなくなります。しかし、もっとも過酷な迫害を受けたのが、ハリウッドテンと呼ばれた映画人たちであり、その中心がトランボでした。トランボは共産主義者として、議会の聴聞会に招致されます。「お前は共産主義か?」として、厳しく追及する聴聞会のメンバーに対して、トランボは合衆国憲法を盾に、良心の自由、内心の自由は何人によっても侵されないと言って、一歩も引かずに闘います。しかし、トランボは有罪判決を受けることになります。アメリカの良心が敗北した瞬間です。その結果、トランボはハリウッドを追放されることになります。

 トランボの不遇の時代が続きます。それでもトランボは、偽名で脚本を書き続けます。類まれな彼の才能は、偽名で発表した作品を大ヒットに導きます。でも、それがトランボの作品であったことが認められるまでには、10数年の歳月が必要でした。

 それでも、やがてハリウッドにも赤狩りの狂気が過ぎ去っていきます。トランボが実名で、脚本が書ける時代が到来するのです。その後も、数々の名作を手がけました。トランボの脚本の作品として、「ローマの休日」「スパルタカス」「栄光への脱出」」「ダラスの熱い日」「パピヨン」なんかは、とてもなじみ深い作品ではないでしょうか。

 そのトランボ自身が、監督した唯一の作品が「ジョニーは戦場に行った」なんです。この作品の原作はトランボ自身です。文字通り、トランボの全てが詰まっている感じがします。

  見終わって・・・・・想像以上にすばらしかった・・・・めぐり合えてよかった~

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