« 2011年9月 | トップページ | 2011年11月 »

2011年10月

2011年10月31日 (月)

やっと9月議会のアップが全部終わった

 9月議会について、残っていた企業会計決算審査特別委員会の審議内容をアップしました。やっと終わったという感じです。

 本当なら、財政経済常任委員会の視察についてももう少し手を加えたいところですが、正直、疲れましたー。少し、お休みがほしいナァ~。

まずは下をクリック
     ↓
http://homepage3.nifty.com/kazushigemurakami/22kigyoukaikeikessaniinkai.html

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2011年10月30日 (日)

一般質問と委員会審議について、ネットにアップしました

Img_1440 9月議会が終わってだいぶ経ってしまっているのですが、一般質問と常任委員会の審議について、Q&A方式で、ホームページの方にアップしました。

 委員会審議では、国際バルク戦略港湾や港湾計画の改定、フィットネスセンターの存廃問題、市営住宅の問題などを集中的に議論しました。

下のURLをクリックしてください。
     ↓  ↓
http://homepage3.nifty.com/kazushigemurakami/1109gikai.html

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2011年10月29日 (土)

視察よもやま話

 視察の途中でデジカメが壊れてしまいました。まずはSDカードが調子が悪くなったので、宮崎市役所と志布志港の写真は、しかなないので携帯で写しました。その夜に、志布志の町をあちこち探して、やっとSDカード購入、入れなおして、「これで大丈夫」と思ったのですが・・・

 翌朝、テーブルからデジカメを落としてしまいました。

 いじってみたらちゃんと動くので「心配ない」といったんは思ったのですが

・・・やねだんについて、起動しようとしたら動きません。何度かやり直したり、ちょっとつついたりしたら動き出してほっとしたのですが

・・・また2、3枚撮ったところで、また動かなくなるの繰り返し・・・しかも何回か過ぎると、とうとう全く動かなくなってしまいました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年10月28日 (金)

阿寒病院、2回目の聞き取り調査

 10月中旬に引き続き、共産党市議団3人で、阿寒病院についてセンター長と病院事務長Img_2010 から聞き取り調査を行いました。

①前回の聞き取りからの推移
 大きくは動いてはいないようです。センター長も病院事務長も、その後は三慈会とは会っていないとのことでした。

 病院内部では、プロジェクトチームを立ち上げ、11月までに市の直営で運営していく場合の骨格的な中身をまとめたいとのことでした。これを市長に提示した上で、12月議会で市長が、直営で行くのか、民間にするのか、できれば一定の判断を示していただきたいと考えているようです。

②今後の病院の医療内容を検討するにはあまりにも期間はなさ過ぎる。
 11月末までに(医療スタッフからは12月末までとの声があがっているようです)医療内容の骨格らしきものは決めたいといいますが、週一回会議をしたとしても4回しか出来ません。現時点では、事務局としては提案できる内容もないようですし、医師との意見交換もこれからという感じです。いくら11月末までに骨格を決めたいといっても、ほとんど議論する時間はありません。今後の診療に関わるだけに、時間もとって慎重な検討が必要ではないかと、議員団としての考えを示しました。

③三慈会の提案内容
 三慈会から向こう3年間の収支見通しが示されました。私は、情報公開条例に基づき公開を求めましたが、結果的には「三慈会が公開しないでほしい」との意向を示し、市としてもその判断に立って、非公開との回答をよこしました。

 私は、非公開とした理由を尋ね、あわせて、文書として公開できないとしても、三慈会の提案内容が全く分からないのでは議論のしようがない。収支と人件費だけは説明すべきと迫りました。それでも事務長も金額は明示しません。

 ニュアンスとしては一年目の赤字は1億円未満、2年目はその半分、3年目は1/3というセンター長の説明ですが、全く根拠は分かりません。ただし、患者増はほとんど見ていない(診療報酬の改定による増益は見ている)ということでしたから、収支改善の最大の理由は人件費が大幅減になるからでしょう。しかし、一般職であれば、官から民になれば人件費は大幅削減できますが、医師や看護師は官と民の賃金格差はそれほどありません。むしろ民の方が高めのこともあります。それなのに、人件費を1億数千万円も削減できるということはどういうことでしょうか。看護師が減ることは分かりますが、それは市の直営で診療所化しても同じことです。民間がより看護師が少なくて済むとはなりませんから、結論は、医師・看護師の大幅な給与引き下げでも考えているのでしょうか。この点では病院の説明は、さっぱり理解できません。やはり、きちんと数字を出してもらわなければ議論になりません。

 もうひとつ三慈会の示した数字が本当に根拠のあるものか、民間の他の病院と比較してどうか。判断できる要素がありません。「これ大丈夫?」と聞いて、三慈会が「間違いありません」と応じたとしても、それが実現可能か、他と比較してどうか、市には判断できる知識も能力もないということです。

 他の医療機関にも提案させて比較検討することや、公認会計士やコンサルタントなどに三慈会の見通しの数値について吟味するよう求めるべきではないでしょうか。三慈会の言い分を信じる、信じないの問題ではないのですから、その程度の慎重さは当然のはずです。

④医療スタッフの体制、退職問題
 仮に診療所化するとすれば看護師で数名、介護職はほとんどが仕事を失う可能性があります。正職員は人事異動で市立病院に移ることになりますが、家庭の事情などで簡単には異動できない看護師もいるとの認識です。

 もっと大変なのは介護職です。市立病院では介護職場はありませんから人事異動はできません。1年更新の嘱託ですので、「雇い止め」となりかねません。これまでの民営化でも生首はほとんど切っていないはずです。嘱託といえども、雇い止めは許されません。雇用期間は1年更新となっていますが、合併後10年間は事故や本人都合がなければ、継続雇用されるものと本人も思っていますし、つい最近までは行政だって思っていたはずです。「明日から職場がなくなりますから、もう来なくていいです」では、雇用主としての責任が厳しく問われることになります。福祉事業などをして雇用の受け皿にという意見もニュアンス的には感じましたが、それとて明日からはじめますと言ってできるものではありません。

 私は、その意味では病院内での方向性の検討、三慈会の提案内容の検討、職員の雇用の確保の3点から、来年4月からの診療所化(直営、民間を問わず)を一年程度延長すべきでないかとの意見を述べました。市はできれば来年4月からと考えて、大急ぎでスケジュールをこなしていて、私の意見に耳を貸す気はないようですが、冷静に考えると、どうなのでしょうか。

| | コメント (14) | トラックバック (0)

2011年10月27日 (木)

被災地のがれき処理の受け入れについて新方針

視察先に、市の市民環境部から電話がありました。

 用件は、被災地のがれき処理の受け入れについて、①再度意向調査が行われたこと、②今回については放射性物質の汚染がされているがれき、および可能性のあるがれきに対する意向の調査であったこと、③そこで、市としては放射性物質に汚染されているものは受け入れないという立場であったことから、これまでの「受け入れ可能」という回答を取り下げ、受け入れられない旨で回答し、ホームページにもアップした ということでした。

 早速、ホテルのパソコンで確認したのが、以下の記事です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

東日本大震災で発生した災害廃棄物の受け入れ処理について

○放射性物質による汚染廃棄物の搬入防止のため一切の災害廃棄物を受け入れない意思表示をしました。

平成23年10月27日

東日本大震災に伴う被災地の災害廃棄物の処理に関しましては、平成23年4月8日に環境省(北海道経由)から協力依頼と受入処理能力調査があり、釧路市としては、法律により廃棄物には「放射性物質及びこれに汚染されたものを除く」と規定されていることから、これらのものは対象外とすることを前提として「最終処分場での総埋立量5,200トンの受け入れが可能」である旨を回答していました。

このたび、環境省(北海道経由)から平成23年10月7日付で各自治体の受入検討状況について再調査があり、釧路市はこれまで受入条件として「放射性物質及びこれに汚染されたもの(廃棄物)は除く」としていましたが、先に環境省が示した災害廃棄物の広域処理の推進に係るガイドラインでは放射性物質に汚染された廃棄物を完全に排除していないことが明らかとなり、放射性物質に汚染された廃棄物が搬入される可能性が残る処理方法では、受入条件が整わないことから、当初の「受入可能」の回答を取り下げる内容で、10月26日に回答しました。

釧路市では、未曾有の大震災という特殊事情の中で、全国の自治体等との連携・協力による東北地方の復旧・復興を支えるべく、今後も協力していきますが、新たな動きについては市民の皆様に、随時提供してまいります。

釧路市 市民環境部 環境事業課

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年10月26日 (水)

視察3日目、「やねだん」とゆうかり学園

Img_2082  視察の3日目。朝、志布志を出発して、鹿屋市の「やねだん」と鹿児島市のゆうかり学園を視察しました。

 午前中の「やねだん」の視察は、自治公民館長のエネルギーに圧倒されるばかりです。私自身も田舎出身ですが、地域になかなか自信をもてずに、何かあれば外に出たいと思ってずっと過ごしていました。
 それはなぜでしょうか?仕事がないから。文化の香りがしないから・・・いろいろあったんだと思いますが、田舎から出ることが人生の進路みたいに思って疑わなかった自分がいました。

 ちょうど「やねだん」は私のかみさんの実家みたいな雰囲気の地域ですが、そこにアーチストが居を構えたい、お年寄りが元気になっていける・・そんな秘策を聞けた感じです。聞くとやるとは大違いという事はあるでしょう。また、゜釧路の疲弊感のなかで何ができるか分からないのも事実ですが、・・・・・実践と感動あるのみ。

 午後は鹿児島市のゆうかり学園です。知的障がい者の更生施設で、畜産、木工、竹工、園芸などの多様な仕事を通して、障がい者の自立をはかろうとしています。もちろん、自立支援法の施行で、多くの障がい者を施設の外に出さざるをえず、12箇所のグループホームを開設、約60人がグループホームで生活するなど、新しい試みもあるようですが・・・

 学校給食の残り、パン工場からのくずパンなどの提供を受けて、輸入飼料に頼らず餌としている考えにはとても共感できました。子供たちに「豚さんが食べるから、給食の残りは綺麗にしていね」というと、子供たちはとても協力的だという話です。一方、ファミレス10260021 などの残渣に爪楊枝やたばこの吸い殻などの異物が混入して、とても使えないとのことでした。ゆうかり学園の豚を題材に、幻冬舎から写真絵本「ぶた にく」が出版されています。ぜひ一読いただいたらよいと思います。

 さて余談ですが、鹿児島に向かう途中、桜島の見えるところを通りました。噴火があって道路、農地、家屋、自動車などはすっかり火山灰をかぶっています。空がどんよりするぐらい、大量の火山灰が漂っているようです。自然の驚異はすごいものです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年10月25日 (火)

視察2日目、宮崎市と志布志市

10250001  今日は、午前は宮崎市役所で口蹄疫を中心としたお話をお聞きし、午後は志布志市で「志布志ブランド」と国際バルク戦略港湾について視察しました。
 きちんとした視察報告は別途アップしたいと思いますが、簡単に今日は感想だけ書きます。

 宮崎市の口蹄疫の取り組みは本当にご苦労されたことがよくわかりました。それだけに、今後は国内にウィルスを絶対に入れない取り組みが大切です。宮崎市などでは、いまだに「警戒レベル1」ということで、空港や市庁舎の出入り口などでは、消毒マットを置いて防疫体制をとっています。では全国的にはどうでしょう。こうした取り組みは宮崎だけでいいというものではないと思うのですが・・・少し、警戒心が緩んでいるような気がします。

 「志布志ブランド」について。
 チリメン入りのサツマイモコロッケや、背白チリメンをつかったどんぶりなど、新たな志布志ブランドの開発に取り組むなかで、志布志そのものを全国に知ってもらう・・・そのためには全国一のとりくみをいっぱいやる・・・そんな取り組みを進めているようです。
 市役所職員が企画・取材から編集まで全部やった動画を2本、ユーチューブにアップしているそうです。花火大会とリサイクルのこと、そして背白チリメンのどんぶりのことですが、ぜひみなさんも見ていただければと思います。

 国際バルク戦略港湾については、志布志は2本の民間の専用バース(水深13メートル)が10250005 あるのですが、この深さでは満載のパナマックス船(水深14メートルが必要)には対応できません。しかし13メートルのバースがありながら、水深14メートルのバース(将来はさらにここを掘り下げて水深17メートルのバースにする予定)を新設することに、民間会社もいろいろ迷っているようです。
 確かに17メートルバースを考えれば、一刻も早く新バースの建設に入りたいというのはあるでしょうが、実際17メートルに対応するポストパナマックス船の就航がいつになるのかは、はっきりしていません。新バースの建設自体には、民間の負担はないようですが、現時点で、民間の専用バースを改良したほうが当面は安くつくのではないか、そんな考えも出ているようです。いろいろと難しい問題があるようです。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2011年10月24日 (月)

委員会視察で宮崎県と鹿児島県へ

 10240001 今日から市議会の委員会視察です。今晩は宮崎市に泊まっています。さきほど散歩がてらに宮崎県庁を見てきました。

 さて視察の内容ですが、

 明日は宮崎市において、鳥インフルエンザと口蹄疫の対応についてお聞きした後、今回の視察のメインの志布志市をたずね、国際バルク戦略港湾について、お話を伺い、合わせて志布志港を現地視察しますもうひとつ、志布志の地域ブランドの取り組みについてもお話を伺います。

 明後日は、鹿児島県の鹿屋市の「やねだん」と鹿児島市のゆうかり学園を視察します。「やねだん」は人口300人ほどの集落ですが、高齢者を中心に行政に頼らないまちづくり、地域づくりをすすめています。地域ブランドのしょうちゅう「やねだん」や寺子屋など、興味深い取り組みをしているとお聞きしました。また、ゆうかり学園は食品残渣もつかって地域と一体に養豚などをしているとお聞きしています。

 大切な視察ですので、しっかり勉強していきたいと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2011年10月22日 (土)

阿寒の市政懇談会の場所違ってました

 前のブログでお知らせした共産党議員団の市政懇談会ですが

会場が公民館の研修室Aから研修室Bに変更になりました。よろしくお願いします。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2011年10月19日 (水)

阿寒町でも共産党の市政懇談会を開きます

Photo  すでにブログでもHPでもご案内していると思いますが

11月中旬に釧路市で4回、音別町で1回、市政懇談会を行うことを決めていましたが

 阿寒町でも行うことにしました。阿寒町については、病院問題でかなり論戦した経緯もありますし、阿寒高校の地域キャンパス校化のことも一般質問で聞いています。それでも、町民の関心は阿寒病院の民営化の方が強いのかなとも思っていますが。

余談ですが、私の作成した「村上かずしげ通信」の阿寒病院についての全戸配布ビラが賛否両論、反響を広げているようです。率直にお叱りの話もお聞きしましたが・・・
 しかし、書いている内容は議会で議論をされた内容ばかりで、いわゆる暴露ものでは一切ありません。むしろこうしたことが、町民にも知らされていないということに、問題を感じます。
 住民の正しい判断は、情報が適切にタイムリーに、包み隠さず提供されて、初めて懸命な判断ができるものと考えています。地方自治体は別に外交をしているわけではありませんから、自治体が秘匿にしなければならない情報など、ほんの限られたものと私は思っています。

 正直、この阿寒病院の問題は12月議会でも、一般質問の大半を占める内容となると思います。またいろんな意味で、あっちこっちから色々言われそうですが、矛を納める気は全くありません。12月議会の論戦もぜひ、ご覧いただきたいと思っています。

 また、この機会に阿寒病院の今回のことについて、様々な意見を持っておられる方、心配されている方、いろいろいらっしゃると思います。ぜひ市政懇談会においでいただいて、お話ししてください。また、平日の昼間で参加できない人もいるでしょう。どうぞこのブログの左肩にメールの送信欄があります。公開して構わない方は文末のコメントを、公開を前提とせず、意見を寄せたいという方はメールで、ご意見をお寄せ下さい。

市政懇談会日時 11月18日(金)午後1:30から 公民館研修室B

| | コメント (9) | トラックバック (0)

2011年10月18日 (火)

市議団だよりを作製中

Img  9月議会の報告や、この間の会派視察の報告などのためB5の8ページで市議団だよりを作成中です。ほぼ、校正も終わりましたので、これから印刷等の作業に入って、来週の末ぐらいから、全戸配布を開始します。

おもな記事は
・石炭産業に関わる会派視察と石炭高度化事業の概算要求について
・原発からの撤退、ストロンチウム90の測定
・阿寒病院の問題
・財政健全化・・フィットネスセンターと決算審査
・3市議の一般質問紹介
    石川「事業仕分け」 梅津「学力問題」 村上「被災地のがれきの広域処理」
・国際バルク戦略港湾
・議会報告会
・葛巻町の自然エネルギーに関する調査

などで、中身は文字通り、盛りだくさんです。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年10月17日 (月)

阿寒病院の民営化問題で一回目の聞き取り調査

 本日3時より、阿寒病院においてセンター長、および病院事務長から、9月議会で聞けなかったことを含め聞き取り調査を行いました。その内容に、かなり驚いています。

私達が質問したポイントは

①そもそも三慈会が阿寒病院の経営を引き継ぎたいと考え、阿寒病院と交渉することになったのはいつか。どんな経緯があったのか。

②鶴の園の常務理事に対して、市はなぜ検討委員会のメンバーに加えたのか。

③民営化した場合、現在の医師はどう考えているのか。

④三慈会から要請されている市の助成額はいくらか。

⑤今後のスケジュールについて。現時点でどういう結論を出そうと考えているのか。

このなかで、正直、予想もしなかった回答が寄せられた点もありました。

 後日、整理した形で示したいとは思っています。なお、第2回の調査は、私の委員会視察から帰った10月28日午前10時に行くことになりました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年10月15日 (土)

連日、釧路町で国保税引き下げ署名

 今日の午前中は大変な雨でしたが、午後から釧路町の選挙事務所のお手伝いに行きました。いま、後援会では国保署名に取り組んでいて、今日の午後は緑地区でした。後援会の方が国保の署名を持って、一軒、一軒訪ねています。

 釧路町では、この間の国保の値上げがひどく、その一方で一般会計には10億円近い、自由に使えるお金がたまっています。このうち3,000万円を使えば、一世帯1万円の国保税の引き下げが可能です。そうした話をしながら、署名をお願いするのですが、おもしろいほど署名をしてくれます。もちろん、署名をしてくれるのは共産党の支持者だけではありません。そうでない人の方が多いに違いありません。

 署名だけならと言って署名してくれる人が次々でました。中には、●●さんの後援会に入っているんだけど、国保は高いからねと言って署名してくれる人も目立ってきました。この調子なら、有権者の2割を告示前に突破できると思います。もう、ひとがんばりです。私もできるだけ、事務所のお手伝いをしようと思っています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年10月13日 (木)

阿寒病院に関する調査活動について(続き)

Img_2011  昨日ブログに書いた、共産党議員団の調査依頼について、行政センター側からの返事が一部ありました。(私が電話で確認した内容も含まれていますし、議会事務局を通じて返事が来たものもあります。)

①定期的な聞き取り調査に関する協力等については、行政センターで検討して返事をする。(いまの時点で、対応するしないの返事はありません)

②三慈会およびその代理人との手紙、メールのやり取りは一切ない。

③病院内や行政センター内での打ち合わせ、会議の資料については、議員の資料請求には提出できない。

というものでした。

まあ、議員が実情について会って話を聞きたいということで、行政の担当者が「会わない」ということはありえませんから、聞き取り調査には応じざるをえないとは考えています。
入手できない資料も分かりましたので、今後の対応についてさらに検討していきます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年10月12日 (水)

阿寒病院について調査活動に着手

Img_2013  阿寒病院に関して、三慈会が引き継いで経営したいとの申し出を受けていることで、共産党議員団として、調査活動を強化することを決めました。

 具体的には

①センター長、病院事務長から、2週に一回程度の共産党議員団としての聞き取り調査

②医療技術者(看護師、放射線技師、検査技師、管理栄養士など)との懇談会の開催

③窓口業務、病院給食、警備の3委託業務に関する調査資料の提出

④22年度から現在まで、三慈会関係者との打ち合わせ、手紙やメールのやり取りについての資料提出

⑤22年度から現在まで、センターや病院内での民営化の検討のための会議、打ち合わせに関する資料提出

の5件からはじめることにしました。
 ①と②については今日センター長に対して、党議員団としての正式な協力要請を行いました。また③④⑤については、議員の調査権を活用し、議会事務局を通じて資料の提出を求めました。

 また、これとは別件で、先週、市の情報公開条例に基づいて

三慈会が今年の8月前後に行政センターに提出した「三慈会が阿寒病院の経営を行った場合の向こう3年間の損益計画書」

についても公開するよう求めています。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

なかなかブログの記事を更新できず

 議会が終わっても、忙しい日々は変わりません。なかなかまとまった記事を書けずにいます。昨日の夜も、もちかえりの仕事をかかえて、四苦八苦でした・・・・・

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年10月 8日 (土)

議会も終わって

 長い長い9月議会が終わって、休む間もなく釧路町議選挙の支援にかけつけています。私は中田おさむさんの事務所のお手伝いです。なんとしても3名の当選をと、がんばろうと思っています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年10月 7日 (金)

議会報告会開かれる

議会報告会が昨日、今日開かれて、私はコア大空の会場に参加してきました。議運のメンバーとして参加でしたので、議会基本条例と議会の一般質問と審議結果について話をしました。といっても、私の話は全文読み原稿がありますから、読みあげるだけですが。
さて、各委員会の報告も終わって、参加者から質問をいただきました。公営住宅の修理をしっかりしてほしい、釧路は学力が低いというがどうなっているのか、市の職員があまり町内会活動にねっしんでない、水道の窓口業務が民間委託されたが問題がある、生活保護の実態はどうなのか、ベトナムの研修生と交流してほしい、フィットネスセンターなどの質問や意見がだされました。
今回は議会としての報告会ですので、こちら側の答は、議会で審議されたことだけ、踏み込んで答えることはできません。その点は納得済みですが、ちょっと残念、これからの宿題です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年10月 4日 (火)

企業会計決算認定の委員会採決

  今日は企業会計の決算審査特別委員会の採決です。午前中に会派の会議を開いて、議案に対する会派としての賛否を決めました。

 共産党議員団は、企業会計のうち、病院、水道、下水道、港湾の4つの決算は反対(不認定)、工業水道、地方卸売市場、魚揚場の3つの決算は賛成することにしました。なお、反対の理由は下記のようなものです。

○病院事業会計
22年度より導入された「初診時選定療養費」は、予算としては469万円を計上しながら、実際は914件72万円しか徴収されていない。これは複数科を初診する場合には一回しか徴収しないことにしたためであるが、予算採択後、こうした判断をせざるをさえないところに、「初診時選定療養費」の問題点がある。東部地域のかかりつけ病院としての機能も持っている市立病院としては、本来徴収すべきものではない。また、阿寒病院が改革プランが示した計画値を下回る結果となった原因は、市長を先頭とした医師確保の取り組みの弱さが根本原因である。よって認定できない。

Photo_3○水道事業会計
窓口業務の包括民間委託については、過度の民間委託をすすめるもので、公的サービスの後退を招きかねない。よって認定できない。

○下水道事業会計
下水道料金の高さは全道市の中で高い方から9番目で、依然として重い市民負担となっている。また、大楽毛終末処理場の委託契約についても、随意契約が続けられるなど改善が見られない。よって認定できない。

○港湾整備事業会計
22年度、通年での稼動となったガントリークレーンは計画と比べ、取り扱いコンテナ量は6割、使用料収入は5割にとどまった。業界からの強い要請で建設を決断したものだが、結果としては過大な投資となってしまった。早期に使用料を改定しないと、企業債の償還財源をまかなえない可能性が極めて高い。よって認定できない。

 なお、一般会計と特別会計の決算についても反対することにしました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年10月 1日 (土)

釧路空襲の体験を聞く会

Img_2009  釧路空襲を体験した佐藤昌之さんのお話を伺いました。
 昭和20年7月14日、午前5時ごろだったそうです。訓練なら、最初に警戒警報でサイレンが一回なって、敵機来襲でサイレンが3回なってというはずが、突然の3回のサイレン。まもなくグラマン戦闘機がなめるように釧路の王子製紙一帯(現在の日本製紙のあたり)と市街地を空爆、機銃掃射を行いました。実は日高沖に集結した米軍太平洋艦隊の戦闘機の空襲です。釧路、根室、本別などが空襲され、日本製鋼所などがあった室蘭は艦砲射撃を受けます。佐藤さんは、寝巻き姿で防空壕に逃げ込んだそうです。

 旭町で火の手があがり、川上町、栄町、末広町を焼き尽くし、翌日には丸三鶴屋にまで燃え移りました。第一弾の空襲が終わって、恐る恐る外に出ても、すぐに第2波、第3波の空襲があります。やっと外に出られたのは翌日、一面焼け野原の町が広がっていました。

 怖いもの見たさに、友達と被災地を見て歩きます。焼け焦げた死体はガスで大きく膨らんでいます。「爆弾が近くに落ちて、5人家族が木っ端微塵になった。頭、手足、ばらばらになったものを拾い集めたら、樽一杯分になった」そんな話をする大人もいました。幣舞町にあった市立病院にもたくさんの遺体が運び込まれていました。


 空襲になると学校を守れと言って、上級生達は学校へと向かいます。しかし、幣毎橋の上で、機銃掃射の犠牲となりました。旭小学校では、天皇の「ご真影」を焼失したら大変と、校長先生が後生大事にして「ご真影」を運び出しました。その一方で、一人の教員が犠牲になりました。保健室に運び込まれ家族が呼ばれましたが、家族がつく頃には小学校自体に延焼。半ば黒焦げになった遺体を大事そうに家まで運んだそうです。
  一人の人間の命が軽んじられ、天皇の写真が宝物のように扱われた時代でした。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2011年9月 | トップページ | 2011年11月 »