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2010年1月17日 (日)

釧労連結成20周年を迎えて

Cimg7745  釧路地区労働組合総連合(釧労連)が結成20周年を迎え、記念レセプションが開かれ、共産党議員団も参加をさせていただきました。結成当時、労働戦線は大企業系列下の労働組合が中心になって、右翼的潮流が広がっていくさなかでした。「連合」が結成されるなかで、①要求による団結、②資本からの独立、③政党からの独立をかかげ、自覚的労働組合が結集しての船出でした。組織人員としては「連合」にはかないませんが、労働組合のがんばりどころである解雇撤回闘争、春闘などの賃上げ闘争などを果敢に闘い、平和・民主主義の運動では、各層・各団体の中心となってがんばってきたのが、釧労連です。

 さて、釧労連とのエピソードは沢山ありますが、個人的にもたくさんのことを教えられ、一緒に運動してきました。私は大学を出て釧路に来たあと、日本民主青年同盟の役員を10数年していました。その大半の時期、私たちの事務所は、釧労連と同じ建物に入っていたこともあり、そのころが時々懐かしく感じます。

 一番の思い出は最初の市長選挙でしょうか。当時、私は33歳、政治の面では右も左もよくわからない素人でした。白羽の矢?が立って当時の市長の鰐淵さんと一騎打ちになったのですが、そのときに選対の事務局長をしていただいたのが、釧労連の事務局長の方でしたし、釧労連の初代議長だった八木靖彦さん(当時は道高教組委員長)が何回も札幌から駆けつけてくれて、演説や政策について教えていただいたことを思い出します。私自身は、いまでも相当生意気な方かとは思いますが、若いときだったからなおのこと、周りの方にはずいぶんご迷惑をおかけもしたように思います。
 それでも、当初のマスコミ予想を大きく超える得票をいただき、開票日には事務所はさながら「選挙に勝った」ような雰囲気でした。

 もうひとつ。いつのメーデー集会のことだったでしょうか。当時は佐川急便事件で大騒ぎだったときです。メーデー集会に「佐川急便」のトラックに描いてある江戸時代の飛脚便の仮装をして参加しました。はっぴを借りてきてちょんまげと飛脚便がもっている肩にかつぐ天秤棒?とその先につける箱をつくってと・・・・かなり恥ずかしかったのですが、仮装の部で賞金をいただきました。

 レセプションのなかで、釧労連の20年の歩みを写真で振り返るという企画があったのですが、そんなこととダブらせながら懐かしく見せていただきました。

 最後に、こうした組合の潮流がしっかりと労働組合の底辺をささえているのだとも実感しました。確かに、大企業に勤めていてもいつ解雇があってもおかしくない時期です。しかし、いつも一番のしわ寄せは中小の業者、そこでの解雇、不当労働行為は枚挙にいとまがありません。組合もない職場ではなおのことでしょう。そのときに泣き寝入りせず、自らの要求と生活を掲げて、労働組合を結成して立ち上がる姿は本当に感動の連続です。そうした労働組合が、釧労連では毎年いくつも生まれています。昨年は念願だった「ローカルユニオン」も結成され、一人でも参加できるようになりました。

 こうした闘いとあわせて、それこそ不屈に何十年と闘い続けた国鉄闘争も日本の労働運動の宝です。解決までもう一歩のところまで来ました。勝利の近いことを願いたいと思います。

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