船の特攻隊員たち・・・鳥取9条の会
鳥取9条の会で例会があり、被爆体験を聞きました。お話いただいたのは釧路原爆被害者の会の会長の糸澤定雄さんです。
糸澤さんは、軍人を夢見て陸軍船舶隊の試験を受け合格します。特別幹部候補生として小豆島で6か月間の訓練を受け、和歌山、岡山などの基地に配属されたあと、広島沖の江田島に配属されます。昭和20年のことでした。江田島の基地には2000人の若者が集められていました。いずれも特攻隊員となるべき人たちです。この特攻隊は飛行機ではありません。古いトラックのエンジンを装着、ベニヤ板で囲っただけボートです。
6月29日のしんぶん「赤旗」日曜版に、 『終戦翌日になぜ出撃命令』、特攻隊『震洋』で散った111人の若者 という記事が出ています。それとそっくりの海軍の特攻隊です。トラックのエンジンをつけたベニヤづくりのボートは、まるで競艇のボートのように海面を飛んでいたといいます。ドラム缶をふた回りほど小さくした爆弾2個を搭載、米軍の上陸を水際で防ぐために体当たりを命じられます。
特攻隊員は自分で判断をしなければなりませんが、軍隊では幹部でなければ何も決定できません。だから、若者を即効、幹部に仕立て上げて、特攻に行くときには「下士官」に任命、無事任務をやりとげて戦死した場合には、2階級特進、靖国神社に神として祭るということでした。特別幹部候補生という名前は、早く死んでいけという意味なのだそうです。
特攻プランはつぎのようなものです。
昼間は島影に隠れじっとチャンスを待ちます。夜陰にまぎれて体当たり。だから訓練はいつも深夜でした。古くなった艦船を敵艦船に見立てて体当たりの訓練。しかし当たるわけにはいきませんから直前で急カーブを切って避ける。しかし深夜ですから、避けきれずに当たってしまう訓練生もいる。船はベニヤ製ですから、当たったらひとたまりもありません。毎夜のように訓練中の事故で戦死する、翌朝は毎日のように葬儀、この繰り返しでした。
いざ本番というときには、銃剣と手りゅう弾が手渡されます。失敗したら自害せよということです。
しかし、こんな無謀な作戦がうまくいくはずはありません。次々、敵艦に発見されて狙撃されて終わり、多くの若者が命を落としていくことになります。糸澤さんもそんな運命のはずでした。しかし、江田島に配属される前に広島沖の似島(にのしま)で、防疫検査を受けます。糸澤さんの部隊のなかに、感染症の疑いのある人が発生、そこで4週間の足止めを食らうことになります。一足先に江田島に入った人は次々、戦死していきます。江田島に入り、糸澤さんにも出撃命令が下ります。出撃の日付は8月20日、結果としてこのことが、糸澤さんが特攻に行かず、命を長らえることにつながります。そして、そのことで、糸澤さんは原爆に遭遇する悲劇を体験するのです。
被爆体験記は、ホームページに掲載しますので、そちらもお読みください。
http://homepage3.nifty.com/kazushigemurakami/9zyounokai.html
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コメント
初めまして。
「矢臼別」で検索していてたまたま通りがかりました。
何かの縁かと、
「震洋」関連でトラックバックもさせていただきました。
そういえば、
私のまち(茨城県北茨城市)の赤旗読者で釧路出身の方がいます。
たまたまこちらに滞在していたご実家のお母さんともお会いしたこともあって、大楽毛に住んでらっしゃるとか。「赤旗」新聞をすすめられて、ときどきは購読するけど、もう歳だから・・・そんな話をうかがったこともあります。
じつは毎年、
北海道をうろうろしております。
http://www.suzuki31.com/etc/index/05.html
釧路町にあった健康センターには何度も泊まったことがあります。近いところでは、矢臼別平和盆踊りにも参加した一昨年かな。でも、閉鎖になってしまったようで残念です。
農民連の会員で厚岸町の石沢さんやら小野寺さんの牛舎にはよくおじゃまをしております。
いきなりで、長い書き込み失礼しました。
投稿: すずき産地 | 2009年7月15日 (水) 14時32分