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2008年7月27日 (日)

倉本聰があたりまえの暮らしを語る

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St2c0007  今日は阿寒湖で、倉本聰を招いてのシンポジウム(阿寒湖で行われたガイアナイトの企画のひとつでした)がありました。富良野に住み、富良野塾を主催する倉本さんが、森と水のことを語るものでした。

 印象に残った話を少し紹介します。倉本さんは富良野塾をつくったときに、こんな文章を起草したそうです。正確なものではありませんが・・・・
 文明にどっぷりつかってきた俳優の卵、ライターの卵たちに対して、「あなたは車と足と、どっちが大切ですか。油と水とどっちが大切ですか。批評と創造とどちらが大切ですか。」こんな問いが続きます。私たちは、いつの間にか、車とガソリンと批評の世界に身を置いています。そうではなくて、足で歩き、生命の維持にとって欠かせない水に恵まれ、世の中を創造していかなければならないのに・・・・倉本さん流の文明論です。倉本さんは語ります。明るさは少しでいい。あたたかければ・・・胸に染みたお話しでした。

 もうひとつ。宇宙から見た夜の地球です。日本列島のなんと明るいこと。宇宙から見ると不夜城そのものです。アメリカ西海岸より、中国の沿岸部より、はるかに明るく日本列島を照らしています。それだけ日本列島で、たくさんのエネルギーが消費され、二酸化炭素を排出しているのです。電気の源の多くは化石燃料です。夜中に、こんなに煌々と照らす必要があるのでしょうか。
 よく、地球温暖化をめぐって、中国・ロシア・インドなどが槍玉に挙げられます。(アメリカはもちろんですが・・・)しかし、あの、夜の地球を見ると、地球温暖化の真犯人に自分たちはなっているのだと実感してしまいます。こんなに小さな日本列島にたくさん人々がくらし、一人あたりでは、なんと多くの化石燃料ほ使っていることか。
 昔は、夜になれば町は静まりかえったものです。しかし、今は、買う人もいないのに、自販機が灯りをともし、24時間キーンと飲み物を冷やしています。コンビニのあかりが、本来は寝る時間の人達を店内へと呼び込んでいます。もちろん、夜でも仕事をしなければならない人はいるでしょう。しかし、今は、「夜しなくてもいいことが、全く省みられることもなく、夜オープンしてさえいれば、便利だから・儲かるから」と、資源を浪費していると思えて仕方ありません。いまの人間の暮らし方に私たちは、踏み込むべきときではないでしょうか。不必要な夜間営業はやめる。夜のテレビも、ある時間を切って、放送を止めてもいい。寝るべき人は、夜しっかり床につきましょう。 

 倉本さんは、人間は感動を共有できる数少ない生き物だと言われました。だから芝居小屋や映画館に足を運び、知らないもの同士が、一緒に笑い、泣いて、感動を深めるのだと・・・。テレビの登場は、本来共有できるはずのない人達を結び付けました。同じ時間帯に同じ放送を全国の人が見て共感する。北海道と吸収の人が同じテレビ番組、私が頭に浮かんだのはドリフターズでした。でも、ビデオの登場がそれを変えました。感動は共有するものではなくて、個人で楽しむものになりました。時間の制限も場所の制限も、もう気にすることはありません。だけど、感動の質はずいぶんちいさなものになったような気がします。
 子どもを育てていて、私がいつも違和感をもつのはビデオやDVDです。私もアニメが好きでよく見ていましたが、子どもアニメの時間はちゃんと決まっていて、それ以外は大人のチャンネルでした。子どものアニメも、大人のテレビも家族みんなで見ました。おのずと、子どもの就寝時間も決まっていました。
 今はどうでしょう。子どもアニメの時間など、子どもは全く気にしません。見たいものはDVDを借りてきて何回も見る。いつまでも、こどもだけの独占する空間と時間が広がっています。一家に2台、3台とテレビが増えればなおさらです。そしてパソコンのインターネットを覚えると、アニメはレンタルショップから借りてくるものですらなくなっていきます。見たいときに、動画サイトからダウンロードのし放題です。
 私は、こうした子ども時代の生活の質が、なにかとても大切なものを失わせてきたのではないか。いつもそんな風に思えてなりません。

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